⾚ちゃんへのタッチの歴史 | History of Touch

赤ちゃんは、その国々によって異なる敬意や尊重を受けて育てられています。多くの国において、愛情を込めた触れあいは、育児の一般的なことですが、地域によっては、赤ちゃんがずっとゆりかごやベビーベッドに入れられたまま過ごしていることもあります。こうした赤ちゃんの扱い方は、その国の習慣によって左右されていることが多いです。

赤ちゃんへのタッチの歴史について見てみましょう。

19世紀に発見されたマラスムス(たんぱく質-エネルギー-栄養障害)の原因は、タッチの刺激と親子のコミュニケーションが不足していることによるとされています。マラスムスの語源はギリシャ語の“疲れきった”という言葉に由来していますが、この病気により多くの赤ちゃんが病院で亡くなりました。マラスムスにかかった子どもはやつれ、体重は標準体重の80%以下にまで減ってしまいます。後に、医者はこの病気はタッチの不足によるものだと気がつき、タッチされることなく育てられた赤ちゃんは、餓死してしまうことを見い出しました。

19世紀の始めには、著名な小児科医のヘンリー・ドワイト・チャピン氏が、タッチ不足を注意するよう、孤児院や家族に対して呼びかけました。チャピン医師は赤ちゃんの死亡率について統計を取り、生き残ることが出来たとしても施設で育てられた子どもは何らかの障害を負っているという点を指摘しました。チャピン医師によれば、孤児院や保護施設での長期にわたる生活には精神的、感情的な成長を妨げる要因があるということです。1915年、彼は 10 都市の施設で調査研究を行ったところ、一施設を除き、残り全ての都市の施設で、2歳以下の子ども達が全て亡くなっていることを発見しました。

ジョンB.ワトソンは動物の行動を研究した後に、行動主義の心理学学校を創設したアメリカの心理学者です。彼は12 人の健康な赤ちゃんに行動手技の学習方法を適用することで、赤ちゃんを望み通りの大人に育てることができると主張しました。彼は「赤ちゃんと子どもの心のケア」(1928)の作者でもあり、その中で、親が赤ちゃんを抱き上げるという動物的衝動を抑えるために、親と子どもは感情的な距離を置くべきだといっています。しかし、ワトソン氏の“子どもは尊敬の念を持って扱え、しかし感情的な距離を置け”という主張は、当時の社会において強く批判されました。

デュッセルドルフ子ども診療所のフリッツ・タルボット医師は、日々、赤ちゃんたちの死に直面していました。しかし、タルボット医師は病気の子どもを救うのに思いがけない成功を収めました。そのきっかけは、アンナという年老いたお婆さんが、赤ちゃんを抱え、タッチをする様子を見たことでした。タルボット医師は、アンナが治療で疲れた赤ちゃんたちを癒していたところを見て、“やさしく愛情に満ちたタッチケア”の概念を医療に取り込んだのです。 タルボット医師のもとで働く研修生たちは、次のように話します。「あらゆる治療が失敗に終わってしまう子どもたちはとても多いのです。そんな子どもたちはは絶望し、消耗しきってしまいます。すると、タルボット医師はその子の処方箋を取り上げて、「アンナお婆さん」とわけのわからないことを書き出すのです。けれど、その「アンナお婆さん」の処方を受けた多くの子どもたちが、魔法をかけられたように正常に戻るのです。私は有名な医師が新しいタイプの特効薬を開発したのではないかと思い、とても驚きました。」ルーサー・エメット・ホルト医師はアメリカ小児科協会の会長です。ルーサー氏はニューヨークの赤ちゃん病院の取締役で、ロックフェラー家の小児科医であり、「子どものケアと摂食」(1894 年初版、1935 年15 版)の著者でありました。彼の著作は、「ゆりかごは揺らすべきでない」ということを伝え、アメリカ社会に大きな影響を与えました。彼は赤ちゃんの授乳と睡眠は厳しく時間管理するべきと信じていました。ホルト医師は、トイレトレーニングは早く始めれば、生後3カ月で始められると言い、さらに、母親に寄り添ったり、共に遊んだりしてはいけないと唱えました。また、ホルト医師は「赤ちゃんが泣いていても抱き上げてはいけない。赤ちゃんには泣くことが必要だ。それは赤ちゃんの運動なのだ。」と唱えました。こうした考え方は、当時の一般社会において非常に刺激が強いものでした。